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名古屋高等裁判所 昭和36年(う)335号 判決 1961年11月27日

控訴人 被告人 河村吉弘

弁護人 森健

検察官 荒井健吉

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

押収にかかるパンビタンびん入りの青酸ソーダ様の粉末一個(証第三号)及びネオサツカびん入り青酸カリ一個(証第四号)はいずれもこれを没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森健提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点について、

所論は、原判決は被告人の所為を殺人予備幇助として処罰しているが、予備の幇助は、特別にこれを処罰する旨の明文の規定がない限り処罰の対象とならない。蓋し、予備の幇助とは予備にすらならないそれ以前の段階の行為であるから、刑法が予備、未遂についてすら特別の規定がある場合にのみこれを処罰の対象としていることに鑑みれば、予備の幇助については、ましてや特別規定のない限りこれを処罰しない趣旨であることを知るべきである。さればこそ、刑法は内乱罪の如きについては、予備の幇助について具体的にその行為を限定し、特別の明文を設けてこれを処罰することとしているのである。殺人の予備は独立に処罰の対象とされているのであるが、刑法総則の従犯の規定は、この場合に適用されるべきではないのである。次に、従犯は、正犯の実行行為を幇助した場合に成立することは、刑法六二条の明文の示すとおりである。然るに、「実行行為の予備」はありうるが、「予備の実行行為」というが如きは、刑法上の概念として考えることはできない。(「予備の実行行為」というが如きものを想定するとすれば、更に、「予備の未遂」というものも考え得べく、これは概念の矛盾である。)従つて、予備の実行行為が想定できないものである以上、予備の実行行為の幇助ということも、とうてい存在し得ないはずである。以上の理由により殺人予備の幇助は処罰の対象とならないものであるのに、被告人の原判示所為を殺人予備の幇助として処罰した原判決は、法律の適用を誤り罪とならない事実を有罪とした違法があるものというべきである、

というのである。

さて、原判決は、被告人に対する当初の殺人予備罪の訴因に対し、「予備罪は、教唆犯或いは従犯のように、正犯者のために加功するものと異なり、自己の犯罪の目的のため犯意を実現する行為であつて、換言すれば、いわゆる基本的構成要件の実現を目的とする犯罪意思行為であると言い得るから、予備罪の成立には、行為者において、基本的犯罪類型の充足を目的とする意思が必要であつて、これを殺人予備について言えば、行為者が、自ら殺人の意図をもつて、その準備行為をすることが必要である」ということを前提として、本件において、被告人は、河野徳治から、同人が大野義男を殺害する意図を有することを打ち明けられて、河野に青酸ソーダを手渡しているが、被告人としては、大野義男を殺害する何らの動機、原因もなく、同人を殺害する意図も毛頭なかつたことが認められるから、被告人に対して、殺人予備罪をもつて、処断することはできない、と判断して、先づ殺人予備罪の訴因を排斥した。そして、河野徳治が、大野義男を殺害するため、青酸ソーダを入手して、その準備をしたことは、まさに殺人予備行為であり、被告人において、右の情を知つて、青酸ソーダを河野に手渡ししたことは、同人の殺人予備行為を容易ならしめたものであるから、被告人の行為は、殺人予備の幇助に該当する、として、同罪の予備的訴因について有罪としているわけである。そして、又原判決は、予備の幇助を処罰する所以について、予備罪も基本的な構成要件の修正形式ではあるが、一個の構成要件をなしているものであるから、これを充足する行為は実行行為であるから、いわゆる予備の実行行為を幇助するということも充分考え得るわけで、実行行為以前の予備を幇助する者を処罰することは、毫も刑法六二条の明文に反するものでもなく、更に、刑法七九条は、内乱罪の組織的集団犯たることの特質から、その刑について特に加重して規定したものにすぎないもので、刑法は、他に予備の幇助を罰しない趣旨とは解されず、他に予備罪の成立する場合、その従犯の成立を否定する理由もないことを、理由としてあげているのである。

さて、教唆犯、従犯は、自ら犯罪を実行するものではなく、他人の犯罪に加功する犯罪の一形式である。自ら犯罪を実行する者を正犯というのに対して、この正犯たるべき者を教唆して犯罪を実行させた者が教唆犯、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者が従犯とされるわけである。そして、このような教唆犯、従犯が処罰されるのは、それらの行為が、いわゆる正犯の犯罪の実行行為に加功した点にあるのであつて、正犯の犯罪の実行行為が成立しない以上、教唆行為、幇助行為それだけを独立に処罰することはない。(いわゆる共犯の従属性)このように教唆犯、従犯は、抽象的にあるなんらかの犯罪の教唆、従犯とされるものではなく、正犯の特定の犯罪の実行を前提として、この正犯の犯罪の実行に対して、教唆犯、又は従犯といわれるわけである。刑法六一条、六二条は、このことを明文を以つて示している。教唆犯の場合は、当面の問題外におき、従犯に限つていえば、右六二条に「正犯ヲ幇助シタル者ハ従犯トス」とあるのは、論旨もいうように、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者という意味であり、幇助行為それじたいとしては、正犯の犯罪の実行行為前に行われようとも、これを処罰するためには、正犯が犯罪の実行行為に着手することを要件とするわけである。(正犯の犯罪実行中に幇助する場合は、この関係は明らかである。)そして、その正犯が犯罪の実行行為に着手するというのは、正犯が刑法各本条の規定する各犯罪のいわゆる構成要件的行為の実行に着手することをいうものであることも論旨の指摘するとおりであるから、従犯が処罰されるのは、正犯の行為が、少くとも、特に未遂罪として処罰される場合であることを要するということになる。然し、このことは、刑法が正犯の既遂を処罰するのを原則とし、その未遂が処罰されるのは、あくまで例外であつて、刑法各本条に、特別に、未遂罪を処罰する旨の規定がある場合に限るという構造をとつていることからひき出される結論である。従つて、刑法が、特殊例外的にある犯罪の予備罪を処罰している場合には、特に、その場合に限つて、予備罪の従犯が認められるかどうかについて、やはり特別に考えてみなければならない。すなわち、未遂罪が処罰されるのも、このように例外であるが、刑法は、ある種の犯罪の危険性、従つて、その可罰性の著しく高いことに着目して、これを未然に防遏しようとする特殊の考慮に基いて、この種の犯罪については、特に、実行の着手前の段階、すなわち、実行の着手前において、実行行為を準備する行為をとらえて、これを予備罪として独立に処罰することとしているのである。本件の殺人予備の如きがまさにそれである。そして、刑法各本条の規定している当該各犯罪は、正犯の既遂としてこれを類型的に刑法が規定しているので、これを講学上基本的構成要件というならば、予備罪は、これらの基本的構成要件を離れて独立に、その犯罪の類型が定められるものではなく、ある犯罪の基本的構成要件を前提として、そこから初めてその犯罪の予備罪の類型が定められるのであるから、それは、前記基本的構成要件に修正加工を加えたもので、いわゆる基本的構成要件の修正形式として観念されるわけである。そして、このようにある犯罪の予備罪が独立に処罰される場合には、その予備罪を構成する行為も当然に考えられるわけで、それは、その予備行為が発展した場合のいわゆる犯罪の実行行為を基本として、その内容を限定されるものではあるが、予備罪そのものについていえば、その予備罪というある犯罪の基本的構成要件を修正する構成要件を充足する行為がそこに予定されていることは当然である。いま構成要件を充足する行為を実行行為というのであれば、予備罪が独立して処罰される場合の、いわゆる修正された構成要件を充足する行為も又実行行為とよぶことが許されるのである。(この意味で実行行為の概念も関係的、機能的な概念である、といわれる。)そして、このように、予備罪の実行行為というものを観念することは、予備罪の正犯を考え、あるいは、その共同正犯を考える場合に、文理解釈のうえで起る障害を取りのけることに役立つであろう。すなわち、共同してある犯罪の予備をした者、すなわち、予備の実行行為を共同にした者は、予備罪の共同正犯であるが、予備罪の実行行為を観念できない、とすれば、文理上予備罪の共同正犯も又あり得ないという奇怪な結論に達する。(二人以上の者が共同して殺人を計画し、その用に供するための兇器を共同して入手して準備した場合の如きを考えよ。)従つて、刑法総則の規定の適用において予備罪の実行行為というが如きものは観念できないという論旨は採るを得ないもので、予備罪の従犯の成立を考えるについて、実行行為の概念を固定のものとして文理解釈に依拠することは許されない次第である。この点に関する限り原判決の法解釈は正当というべきである。

然らば、このように予備罪の実行行為を観念できるとして、刑法六二条の従犯の成立要件としての正犯の実行行為というのは、右に述べた意味における正犯=予備罪の正犯=のいわゆる実行行為をも含むものであろうか。

すなわち、刑法総則の従犯に関する規定は、予備罪が独立に処罰される場合のその予備罪についても適用されるのであろうか。同法六四条によれば教唆犯、従犯が処罰されないのは、拘留又は科料にのみ処すべき特別の犯罪の場合(但し、その場合でも教唆犯、従犯を処罰する特別の規定がある場合は除かれる)に限られるもののようにも解される。もし、そうだとすれば、予備罪=本件では殺人予備罪=の実行行為を考え、それが独立して処罰される限り、予備罪の従犯も又処罰されるということになり、文理解釈上の支障も生じないわけである。然し、仔細に検討してみると、この解釈には賛成することができない。思うに、犯罪の予備行為は、一般に基本的構成要件的結果を発生せしめる蓋然性は極めて少なく、従つて法益侵害の危険性も少ないわけであるから、通常可罰性はなく、特に、法益が国家的、社会的にすぐれて高いものと評価される特殊の犯罪に限つて、これが準備行為、すなわち、右の犯罪の実行を準備する行為までを、法益侵害の危険性が看過できないものとして、刑法は、例外的にこれを処罰の対象としているのである。本件の殺人の予備罪の如きもそうである。然し、犯罪の予備行為というものは、実行行為に着手する以前の、犯罪の準備行為を含めて、犯罪への発展段階にあるすべての行為を指称するものであり、基本的犯罪構成要件の場合の如く、特に、それが定型的行為として限定されていないところに特色がある。従つて、予備罪の実行行為は無定型、無限定な行為であり、その態様も複雑、雑多であるから、たとえ、国家的、社会的にその危険性が極めて高い犯罪であつても、その予備罪を処罰することになれば、その処罰の範囲が著しく拡張され、社会的には殆んど無視しても差支えない行為、延いては又言論活動の多くのものまでが予備罪として処罰される虞れもないわけではない。そこで、刑法はこのように処罰の範囲が徒らに拡張されることを警戒して、広般な予備行為の範囲を限定して、予備罪を構成すべき行為を限定的に列挙する場合もあり(例えば、刑法一五三条、なお特別法として爆発物取締罰則三条の如きもそうである。)、更に又予備罪については、情状に因りその刑を免除することにもしているわけである。ところで、従犯の行為も又同様無限定、無定型である。従つて、もし、予備罪の従犯(正犯が予備罪に終つた場合の従犯)をも処罰するものとすれば、その従犯として処罰される場合が、前の予備罪の正犯の場合にもまして著しく拡張される危険のあることは極めて明らかである。かの助言従犯の場合の如きを考えれば、言論活動の多くの場合までが、直ちに予備罪の従犯として処罰される危険性が、高度である。従つて、予備罪の従犯を処罰するかどうかについては、特に厳正な解釈態度が要求されるのである。しかも又、従犯の刑は正犯の刑に照して減軽されているわけであり(刑法六三条)、従犯の違法性、可罰性は、正犯のそれに比し軽減されているものであることも又否定できない。してみると、予備罪が特に明文の規定をまつて処罰される場合においても、その刑は、既遂、未遂のそれに比し極めて軽いのであるから(殺人予備罪の場合も二年以下の懲役であり、情状に因りその刑が免除される。刑法二〇一条)、これより違法性、可罰性の更に軽減されるその従犯までを処罰するについては、これを解釈に一任することなく、法の明文を以つて特に明確にすべきである。予備を独立に処罰する旨の規定があるからといつて、それを理由として、予備の背後関係にあつて、予備罪の正犯に比べその違法性。可罰性のより減少したその従犯までを処罰しなければならない必要性、合理性は少しも正当化されるものではなく、予備罪の従犯を処罰するかどうかは、やはり刑法全体の精神から論定すべきことがらである。ところで、刑法七九条は、内乱罪の予備罪について特に明文を設けてこれを処罰する旨を明らかにし、内乱の如く国の政治の基本組織を破壊するような国家の存在そのものに関する極めて重大な犯罪の予備罪については、特に、その幇助行為までを処罰する旨を成文上明定しているのであり(この意味で右刑法の条規は内乱罪の予備の従犯について特に刑を加重した趣旨とは解されない)爆発物取締罰則五条の如きも、特にその第一条所定の犯罪者のための特定の幇助行為のみを処罰し、その四条も、同条所定の予備行為の共謀者に限りこれを特に処罰することとし、そして又かの破壊活動防止法三八条ないし四〇条の各規定の如きも、同条所定の各犯罪の予備以外の背後行為が処罰される場合について、特に行為の種類を限定してこれを明定しているのである。これらのいわゆる政治犯罪とされる特殊の犯罪についてすら、刑法(広義の)は予備罪の従犯の処罰されることを特に明文の規定を設けてこれを明確にしているのであるし、そして又このような予備罪の従犯を処罰する法律の特別の規定がこれらのいわゆる政治犯罪に限つて設けられていることも看過してはならない。以上述べたいろいろの理由を綜合して考えてくれば、わが刑法は、予備罪の従犯を処罰するのは、特に明文の規定がある場合にこれを制限し、その旨の明文の規定のない場合は、一般にこれを不処罰にしたものと解すべきである。すなわち、総則規定としての刑法六二条の規定は、予備罪が独立に処罰される場合においても、当然にその適用があるものではない、ということになるわけである。してみれば、殺人罪の予備罪の幇助行為について、特にこれを処罰する法律の規定はないのであるから、被告人の原判示所為を殺人予備罪の幇助(予備幇助罪)として処罰した原判決は、既にこの点において法律の解釈を誤つた違法があるものというべきである。(なお、原判決は殺人予備罪の正犯行為とその従犯行為とを区別するについて、特に、犯人の主観的意思の面を重視して、自ら自己の行為として殺人罪=本件では大野義男に対する殺害行為=を実行する意思であつたか、それとも他人の殺人罪に加功する意思=本件では河野徳治が右大野義男を殺害する行為に加功する意思=であつたかにより、被告人の本件所為が殺人予備罪を構成するか、それともその従犯を構成するかを区別すべきものとしているのである。そして、この見解は、予備罪が本来、着手の段階を経て既遂に発展すべき性質のものであり、従犯はそれじたいとしては発展しない行為であつて、ただ正犯が着手、既遂と発展するその各段階に相応じて、場合により正犯の未遂の幇助、あるいは又既遂の幇助とそれぞれに異つて評価されることを考えれば、一理ある見解たることは否定できない。然し、正犯と従犯とを区別するのに、このように単に犯人の主観的側面、すなわち、行為者の意思の面だけを基準とすることは相当ではない。やはり、犯罪が、犯意の遂行過程としての外部に表現された行為を基本とするものである限り、その外部に表現された行為としてのいわゆる構成要件的行為の形式を無視することは許されない。従つて、正犯と従犯とを区別するについても、いわゆる主観、客観の複合体としての行為の性質、すなわち、行為者の意思とその外部に表現された行為の形式の双方を併せて考察し、これを区別の基準とするのが相当である。そして、このことは、犯罪の実行の着手に至る以前のすべての行為、そして実行行為を準備する行為を処罰する予備罪の場合についても同様である。その予備罪を組成する無限定の行為の中にも、正犯の実行行為を基本として考えれば、自らそこに主、従の差、軽重の別を設けることも可能である。もし、原判決のいうが如く行為者の意思の面だけに着目して予備罪の正犯と従犯とを区別するものとすれば、かの通貨偽造罪の予備罪の場合の如きにも、通貨を偽造する目的、意図を有する者に、その偽造の用に供するための機械、器具の調達を依頼され、その者のためにその意図を知りこれらの機械、器具の一切を買い整え調達した者があつても、これを右通貨偽造罪の予備罪として処罰できないこととなり、法が特に、通貨偽造のためにその機械、器具を準備する行為そのものを、=そして、この機械、器具が整わなければ通貨を偽造する行為は不可能であるから、特に、その通貨偽造の目的の機械、器具の準備行為を危険な行為として、法は通貨偽造罪の予備罪として処罰しているわけである=処罰していることにも矛盾することにならう。すなわち、この場合、法は、機械、器具を準備した者が自ら通貨を偽造する意思、意図であつたか否かを問わず、通貨偽造の目的で、それに必要な機械、器具を用意し整えた者をすべて、ここに予備罪の正犯として処罰したものと解すべきである。これに対し、通貨偽造の意思を有する者にその意図を察知して機械又は原料を購入すべき資金を貸与した者がある場合に、その偽造を意図した者が予備の段階で終つた場合にはいわゆる通貨偽造罪の予備罪の幇助行為があつたものといえるわけである。このことは、殺人罪の予備罪についても又同様にいえるわけである。)

そして右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はすでにこの点において破棄を免れない。したがつて弁護人のこの点の論旨は理由がある。

よつてその他の弁護人の控訴趣意の判断を省略し、刑訴法三九七条一項に則り原判決を破棄することとするが、本件は原裁判所において取り調べた証拠により当裁判所において、直ちに判決できるものと認められるので、同法四〇〇条但し書に従い当裁判所において被告事件について、更に判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三五年三月上旬ごろ、従兄にあたる河野徳治から、同人がかねてから密通している大野フミ子との関係を続けるため、同女の夫大野義男を殺害したいとの意図を打明けられたうえ、その殺害の方法等について相談をもちかけられていたが、当初は真剣に右相談に乗る気持はなく、むしろ右河野の言動をからかいちよう弄しているうち、同人の大野殺害の決意は固く、しかも、度び重ねてその殺害方法について相談をもちかけられるうち、これをあしらいかね、同年六月二五日ころに至り、河野から右大野殺害の用に供するための青酸カリの入手方の依頼を受けるや、同人にこれを手交すれば同人がこれを使用して右殺人の用に供することのあるべきを認識しながら、その青酸カリの入手方を承諾し被告人において知人本多実から青酸ソーダを譲り受けたうえ、同月二七日ころの午後九時ころ愛知県西春日井郡豊山村大字豊場字小道三番地の一村営住宅一六号の河野徳治方において、ビニールに包んだ青酸ソーダ約三八瓦(証第三、第四号在中のものはその一部)を河野に手交し、もつて右河野と共同して大野義男に対する殺人予備の行為をしたものである。

(証拠の標目)

一、原審第一回公判調書中被告人の供述記載。

一、被告人の検察官に対する昭和三五年九月一二日付並びに司法警察員に対する同年九月三日付及び同月二四日付各供述調書、

一、原審第二回公判調書中証人河野徳治及び同第三回公判調書中証人大野フミ子の各供述記載、

一、本多実の司法警察員に対する昭和三五年九月二四日付の本籍、住居の記載ある供述調書、

一、河野徳治の検察官に対する供述調書抄本並びに司法警察員に対する昭和三五年八月三〇日付及び同年九月二日付各供述調書謄本、

一、本多鈴枝、河野多喜子の司法警察員に対する各供述調書、

一、宮地雄三作成の検査報告書及び検査報告書謄本、

一、太田和成作成の調査結果報告書、

一、押収にかかる五〇〇瓦びん入りの青酸ソーダ一個(証第一号)、パンビタンびん入りの青酸ソーダ様の粉未一個(証第三号)及びネオサツカびん入りの青酸カリ一個(証第四号)。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇一条、六〇条に該当するところ、被告人の本件犯行は、既に見た如く河野徳治の執拗なまでの大野殺害についての依頼をあしらいかねたことによるとはいえ、結局判示の如く、河野の企図に同意して殺人の用に使用すべき致死量を遥に超えた猛毒青酸カリを入手して、これを河野に供与したもので、通常の者ならば斯る場合最後まで河野の飜意を促し、犯意を放棄させるために相当の努力を重ねるべきであるのに拘らず、被告人が進んで本件の行為に出たことは、被告人において反規範的性格が大であることがうかがわれるのみならず、被告人は右河野から大野殺害の相談を持ちかけられるや、当初はこれを利用して河野から金員を騙取しようと企て、前記本多実と共謀のうえ、河野に対し、大野を殺害することに協力することを承諾するように装い、もしくは同人を殺害してきたと申し欺き、河野から報酬手付金もしくは報酬名下に合計金十五万円を騙取するが如き悪らつな行為に出で、そのうち五万円を自己において利得した形跡すらうかがわれ、全体として、被告人の本件犯情は悪質なものがあること、その他被告人の経歴、特に、強盗準強盗罪により懲役五年に処せられた前科のあることその他諸般の情状にかんがみ被告人を懲役一年に処することとし、押収にかかるパンビタンびん入りの青酸ソーダ様の粉末一個(証第三号)及びネオサツカびん入りの青酸カリ一個(証第四号)は本件犯行を組成したもので、被告人の共犯者河野徳治以外の者に属しないので、同法一九条一項二号二項本文を適用して、いずれもこれを没収することとする。

弁護人は本件殺人予備行為は不能犯であり、仮りにそうでないとしても殺人予備行為の中止未遂である旨主張しているので、この点について判断を加えると、なるほど事の実際においては、本件青酸カリを供与された河野徳治は大野義男を殺害するについて大野フミ子と共謀のうえ、義男に睡眠薬を服用させたうえ、その頸部を絞扼するの方法に出でその目的を達したもので、被告人の供与した青酸カリは遂に義男殺害の用に供されることのなかつたことは記録上明らかであるが、被告人が判示の如く義男殺害の用に供する目的で河野徳治のために青酸カリを同人に供与した行為は、それじたい殺人罪の予備罪を構成するもので、結果の点からだけこれを判断してこれを不能犯と主張するが如きことはとうてい理由のないことであり、又中止未遂の概念は実行の着手以後の行為であるから、実行の着手以前の予備行為については中止犯の概念を容れる余地がないと同時に、被告人の行為が予備罪として既に成立してしまつた以上この予備行為の中止ということは考えることができないのであるから、弁護人の右主張も又採るを得ない。

(なお、本件は殺人予備罪の単独正犯を訴因とするものであるが、これを判示の如く右予備罪の共同正犯と認定するについては、起訴状の記載そのものからも判るように、本件において、特に被告人の防禦に不利益を招来するものとは考えられないので、訴因変更の手続を経ることを必要としないと解する。)

よつて主文のとおり判決した。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 谷口正孝 裁判官 中谷直久)

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